令和の鮎釣りはどうあるべきか
新年明けましておめでとうございます。
昨年は色々とあった年でした。
日本の近代に於ける鮎釣りは明治維新からで、大正デモクラシーから昭和の第二次世界大戦が始まる頃までが第一期黄金時代。
鮎釣りを文化としてとらえ、社会もそれを認識した。
私の父親達の年代は室内では囲碁や将棋、そして野外では釣りをたしなまなくては教養人とは言えないとされていた。
しかし、戦争が厳しくなると「釣り」という道楽は下げすまされた。
「道楽」という言葉は、私達の年代では「女道楽」のように「働かない人」という悪い意味あいの言葉と解釈されてきた。
敗戦のドン底を経験して「国破れて山河在り」といった。
庶民はよく働き、そして経済が活性化すると、庶民のリクリエーションの1つとして、釣り文化が再び開花。
第二期の黄金時代は昭和30年代~60年代で、釣り人口は1,000万人と言われた。
昭和は本当にまさに激動の時代であった。
戦争の過去を背負って、歯を食いしばって清算した。
平成は明るく笑って暮らした。
本当に「平静」であった。
令和という時代はそのツケがやってくると、ある思想家・堺屋太一はそう言って亡くなった。即ち、考え方を変えないと続かない。
大量生産そして大量消費という目先の経済に酔ってはいけないことを知るべし。
令和の鮎釣りは「数」でなく「質」を尊ぶ。
そこに釣り道楽の哲学をもってゆくことが肝要かと。
昭和初期、鮎釣りの名人達は「インチキ文化は清流をドブ川にする」と、その自然破壊を痛烈に批判していることに驚く。明治以前から言われている格言「一跳千尾」は、令和の今は「一跳50尾」である。
令和の鮎は食べ物に困っていない。
経済学でいう「需要と供給」という経済の原則通りなのである。従って競争や闘争心がないから動く必要がない。静で生きていけるのだ。
尚、冬場は魚が釣れないのは魚が動かない静の状態だから。
ハヤ釣りでは条件の悪い冬場は「寒バヤ釣り」と昔から認められている。
令和には一尾、一尾を楽しみながら釣る。毛バリをつける時のやすらぎの価値観、生きてサオを出せる実感、それらは金銭で評価できないものだ。
私達がよく通う川にはこんなイキな音頭がある。
「粋なお方の釣り姿、はじめ浅瀬が、いつしか深間、アユに迷うて、アユに迷うて、身を濡らす」こんな粋な釣人は如何であろうか。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。